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大阪地方裁判所 昭和34年(行)43号 判決

原告 植田製油株式会社

被告 城東税務署長

訴訟代理人 藤井俊彦 外六名

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(申立)

原告は「(一)、原告の昭和三二年度分法人税につき被告城東税務署長が昭和三三年六月三〇日にした法人課税所得を一三、九六六三〇〇円とする更正処分のうち金五、七九六、三〇〇円を超過する部分を取消す。(二)、被告国は原告に対し金三、四〇一、四〇〇円並びにこれに対する訴状送達の翌日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。(三)、訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、被告等は主文同旨の判決を求めた。

(主張)

一、原告

(一)、原告は製油並びにその販売を業とする内国法人であるが、昭和三二年七月三一日被告城東税務署長に対し、昭和三二事業年度(昭和三一年六月一日から昭和三二年五月三一日まで)の法人課税所得を二、一三〇、三〇〇円とする課税申告をしたところ、同被告は昭和三三年六月三〇日所得金額を一三、九六六、三〇〇円とする更正決定をしたので、原告は大阪国税局長に対し、所得金額を五、七九六、三〇〇円と申告した上、審査の請求をした。同局長は昭和三四年三月一四日右更正処分は相当であり、更正決定の所得金額一三、九六六、三〇〇円と原告申告の所得金額五、七九六、三〇〇円との差額八、一七〇、〇〇〇円は原告の昭和三二年度の課税所得となるとの理由をもつて審査の請求を棄却し、その旨を原告に通知した。そこで原告は同年四月二日右差額八、一七〇、〇〇〇円に対する法人税三、二六二、二四〇円並びに過少申告加算税一八六、七五〇円合計三、四四八、九九〇円を納付した。

しかしながら、この差額八、一七〇、〇〇〇円は昭和三二年度における原告の所得ではない。したがつて被告城東税務署長の課税所得を一三、九六六、三〇〇円とする更正処分のうち申告額五、七九六、三〇〇円を超過する部分は違法であるからこれの取消を求め、同時に被告国に対し、前記納付金の返還、及び、これに対する訴状送達の翌日から右支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴におよんだのである。

(二)、ところで、被告等は原告が昭和三二年度において長須鯨油八六屯(その価額八、一七〇、〇〇〇円)の引渡債権を取得し、これが課税所得に関する更正決定額と申告額との差額にあたると主張する(後記)。右鯨油の価額が更正決定額と申告額との差額にあたること、及び、乙第一号証の覚書に基づき訴外日本水産株式会社(以下日本水産と略称)から原告が鯨油八六屯の引渡を受けた事実は認めるが、原告が昭和三二年度において右引渡債権を取得したとの点は否認する。右引渡は次に述べるように昭和三二年度より以前に発生している日本水産の原告に対する債務の履行としてなされたものである。

昭和二二年夏、原告の前身である合資会社植田製油所は、折柄戦後はじめての捕鯨船団を南氷洋へ送ろうとしていた日本水産との間で、重油二五〇屯と鯨油一九〇ドラムとを交換し、日本水産は帰国後直ちに鯨油を引渡す旨の契約を結び、これに基づき、植田製油所は重油二五〇屯を給付した。そして翌二三年捕鯨船団が大成果を挙げて帰国したので、日本水産に対し約束の鯨油一九〇ドラムの引渡を求めたが、統制法令に違反するとの理由で引渡を拒絶された。その後昭和二五年春になつて鯨油の統制が解除された結果、日本水産から鯨油一九〇ドラムの給付を受けたが、すでにその価額は暴落していた。このような給付は、数量的には契約どおりであるとしても、価額の点で不完全履行又は瑕疵ある給付にあたる。そこで植田製油所は日本水産に対し不完全履行の追完を求め、他方同年一一月二三日付書面をもつて瑕疵ある給付によつて生じた損害合計一三、七一八、〇〇〇円の賠償請求をした。これに対し昭和三二年五月日本水産から鯨油八六屯を給付する旨の回答があつたので、請求額とは相当のへだたりがあつたけれども、これを受け入れた。

以上が原告が日本水産から鯨油八六屯の引渡を受けるに至つた経過であるが、この引渡は(1) 昭和二二年の交換契約に基づく反対給付の一部である(従つて鯨油八六屯の引渡債権は昭和二二年に発生していることになる)(2) 仮に右主張が理由がないとしても、昭和二五年一一月二三日の損害賠償請求に対する履行である(そうだとすると損害賠償債権発生後五年を経過することにより、これに対する租税債権は昭和三〇年一一月二三日をもつて時効消滅したことになる-会計法三〇条)。いずれにしろ鯨油八六屯の受領は被告等主張のような昭和三二年度に発生した債権に基づくものではない。

(三)、なお被告等は昭和二二年の交換契約は統制法規に違反する無効のものであると主張するが(後記)、それはあたらない。

(1)  経済統制法令は単に取引機構を定め、その一般的手続を制限したにすぎずとれに反する取引については罰則の問題を生ずるにとどまり、その私法上の効力に影響はない。

(2)  仮に右主張が理由なく、昭和二二年の交換契約が当初は無効であつたとしても、のちに契約当事者間の内部関係において最初から有効であつたと同様に取扱うことはなんらさしかえない。すなわち鯨油に対する統制法令がその効力を失つた後である昭和二五年春、日本水産は右交換契約が有効であつた旨の遡及的追認をしたうえ、捕鯨船団帰国後直ちに引渡すべきであつた鯨油として一九〇ドラムを給付したのである。しかしそれが不完全な履行であつたことは先に述べたとおりであり、日本水産としてもこの点は十分認識していたところである。

二、被告等

(一)、原告の課税申告から大阪国税局長の審査請求棄却に至る事実関係並びに課税所得に関する更正決定額と申告額との差額八、一七〇、〇〇〇円に対する法人税、過少申告加算税を原告が納付した事実は原告主張のとおり認める。

(二)、ところで右の差額は昭和三二年度における原告の課税所得をなすものである。すなわち原告は昭和三二年五月七日日本水産との間で乙一号証の覚書により、同社から長須鯨油八六屯(その価額八、一七〇、〇〇〇円)の無償給付を受ける旨の契約を結んだ。したがつて右契約成立の日において原告は日本水産に対し鯨油八六屯の引渡を求める債権を取得したことになる。この債権の発生は原告の純資産を右価額八、一七〇、〇〇〇円だけ増加させるから、当然法人税法に規定する総益金となり課税所得を構成する。右債権額が前記差額に該当し、従つてこれを右契約成立の日の属する昭和三二年度の課税所得とした被告城東税務署長の更正処分にはなんら違法はない。

(三)、原告主張(二)の原告が日本水産から鯨油八六屯の引渡を受けるに至つた経過は認めるが(ただし原告にその主張のような損害が発生したかどうかは不知)、右物件の引渡が昭和二二年の交換契約に基づく反対給付の一部であるとの主張又は昭和二五年一一月二三日の損害賠償請求に対する履行であるとの主張に対しては次のとおり反論する。

(1)  昭和二二年の契約は重油二五〇屯と鯨油一九〇ドラムとを交換するという内容のものであるが、右契約締結当時には石油類売渡規則(昭和二二年商工省令第一七号)が施行されており、同規則一条により、右油類の石油配給公団以外の者に対する譲渡は原則として禁止されていたのであるから、右契約が同規則に違反することは明白である。そしてこの規則がいわゆる物資統制に関する強行法規であることを考えれば、これに反する右交換契約は公の秩序に反する事項を目的とする法律行為として法律上無効のものである。無効である以上、本来日本水産には鯨油を給付すべき債務はなかつたのであり、したがつて債務不履行、さらにはそれによる損害賠償義務の発生する余地もない。

(2)  他方現実には、日本水産は昭和二五年植田製油所に対し、交換契約の内容どおりに鯨油一九〇ドラムを提供してその履行を完了している。したがつて日本水産が再度鯨油八六屯を原告に給付すべき債務は昭和二二年の交換契約からは出て来ない。なお昭和二三年捕鯨船団が帰国した当時は油糧需給調整規則(昭和二二年農林省令第九八号)の施行中で、油糧配給公団以外の者は鯨油を譲り受けてはならないとされていたのであるから、日本水産が当時交換契約の内容を履行しなかつたとしても、その責に帰すべき債務不履行とはならない。

(3)  以上のようにして、日本水産には損害賠償をなすべき義務はなかつたのであるが、昭和二五年一一月二三日ごろ植田製油所から法律上理由のない損害賠償の要求が起されたため、事実上の紛争が両者の間に生じ、その解決の手段として昭和三二年五月七日日本水産が原告に鯨油八六屯を無償譲渡することとしたのであり、これは全く新しく発生した契約である。

(四)、原告は契約当事者間の追認により昭和二二年の交換契約は締結の時に遡つて有効となつたと主張するが、これに対する反論は次のとおりである。

(1)  本件交換契約のように公の秩序に反するものとして無効とされる場合には、契約当事者間の合意によつてもこれを遡及的に追認することは許されない。なお昭和二五年において鯨油に対する物質統制はすでに解除されていたが、重油については昭和二四年四月一日から昭和二七年六月三〇日まで石油製品配給規則(昭和二四年商工省外一一省庁令第一号)が施行されており、同規則一一、一二条により、本件交換契約のような重油の譲渡は禁止されていたのであるから、この点からみても原告主張の追認は公の秩序に反するものとして無効である。

(2)  本件においては、昭和二二年当時すでに強行法規に違反した重油の提供が終つているのであるから、昭和二二年の交換契約の追認といつても、要するに反対給付の義務を合法化するためのものにすぎない。このような場合には追認によつて新たな交換契約を結んだものとみなすことも許されない。

(3)  仮に昭和二五年の追認によつて新たな交換契約が締結されたものとみなされても、日本水産の鯨油一九〇ドラム提供の義務は追認のときにおいて全部履行され終つているのであつてとこに原告主張のような不完全履行の発生すべき余地はない。

立証〈省略〉

理由

一、被告城東税務署長が原告の昭和三二年度法人税につき、その所得金額を一三、九六六、三〇〇円とする更正決定をしたこと、原告が日本水産株式会社から昭和三二年五月七日付覚書(乙一号証)により長須鯨油八六屯の引渡を受けたこと、並びにその価額は八、一七〇、〇〇〇円で、右金額が更正決定所得額と申告所得額との差額にあたることは当事者間に争いがない。

二、被告等は、右鯨油八六屯の譲受は右覚書(乙一号証)により発生した債権に基づくものであると主張し、原告はこれを否認する。本件の争点は果して原告が昭和三二年度に右八、一七〇、〇〇〇円の所得をしたかどうか、即ち乙一号証の約定は日本水産の原告に対する既存の債務を確認したものにすぎないのか、あるいは日本水産に新たな債務を負担させるものであるかにつきる。

三、昭和二二年夏原告(の前身である合資会社植田製油所)と日本水産との間で原告主張のような重油二五〇屯と鯨油一九〇ドラムとの交換契約が締結され、原告より日本水産に右重油の引渡をしたこと並びに昭和二五年一一月二三日原告が日本水産に対し、要求をした結果乙一号証の約定が成立したことは当事者間に争いがないが、右交換契約による重油の譲渡は昭和二二年六月一日から施行された石油類売渡規則(商工省令第一七号昭和二四年三月三一日廃止)に違反するものである(この点は原告も争わない)。

この規則は当時施行の臨時物資需給調整法に基づくものであつて、同規則一条において石油類は石油配給公団に譲り渡さなければならないと規定しており、本件日本水産のような無資格者に対する販売を禁ずるいわゆる配給統制法令であり、強行法規と解せられるから(最判昭和三〇年九月三〇日集九巻一〇号一四九八頁参照)、右契約は公の秩序に反するものとして無効のものである。そうだとすると本来日本水産には鯨油一九〇ドラムを反対給付すべき債務はなかつたことになり、したがつて債務不履行の発生する余地もなかつたことになる。

そこで原告は右交換契約は鯨油に対する統制法令(これは本件交換契約成立直後の昭和二二年一二月三一日から施行された)が解除された後である昭和二五年春、日本水産が遡及的追認をしたことによつて、遡つて有効のものとなつたと主張する。しかしながら、そもそも公の秩序に反するとして無効とされる行為に対しては、のちに事情の変化たとえば配給統制の解除があつたような場合でも、依然として当該行為を公の秩序に反するものとして取扱うのが国家意思のあり方として当然であると解せられるが故に、当事者の追認があつても遡及的にこれが有効となるものではなく、且つ新たな行為をしたものとみなすこともできないと解するのが相当である。

しからば、原告主張の追認によつて(なお右追認当時には臨時物資需給調整法に基づく石油製晶配給規則総理庁外一〇庁省令第一号が施行されており、その一一条により重油の譲渡は本件のような法定の除外事由のない場合には禁じられていた)本件交換契約が有効のものとなるべきいわれはない。

四、以上のとおり本件交換契約は追認の有無にかかわらず無効であるから、原告のこの点に関する主張は採用することができない。したがつて乙一号証の約定成立前には、原告と日本水産との間には法律上の債権債務関係はなかつたことになる。

しかるに、成立に争いのない乙一号証と証人柏山長太郎の証言を合せて考えると、日本水産は原告の本件交換契約による鯨油の引渡が物資統制のためにおくれたことによる損害補償の要求に応じて、昭和三二年五月七日原告に対し長須鯨油八六屯を無償で譲渡し、同月中に引渡することを約したことが認められるから、右約定は新たな債権債務関係を発生せしめるものであるといえる。そうすると原告は昭和三二年度において長須鯨油八六屯の引渡債権を無償取得したことになり、これは原告の純資産を増加させるから、法人税法九条一項により同年度の課税所得を構成する。

結局右債権の価額八、一七〇、〇〇〇円が昭和三二年度における原告の所得となるとした本件更正処分に違法はなく、したがつてその取消並びに右所得に対する納付ずみ法人税、過少申告加算税の返還及びその遅延損害金の支払を求める原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 前田覚郎 中村三郎 神田忠治)

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